赤坂宿 タイムスリップ・バーチャル体験

木曽海道六拾九次之内赤坂宿(歌川広重 作) 中山道広重美術館蔵

現代・江戸初期・幕末の赤坂宿を自由に散策できます。

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                                                                                                                              株式会社イビソク・有限会社アシストコム共同製作(2004.07)

 

 

赤坂宿の今昔                                赤坂宿 バーチャルへ   

東山道から中山道へ 下の各画像は、中山道を西へ向かう途中で、谷汲追分にさしかかる所を再現。右が谷汲街道、左が養老街道である。  東山道と呼ばれた時代は杭瀬川駅として歴史に現れる。後に赤坂宿の西に青墓宿として発展、その後に杭瀬川の渡しを待つ宿場として赤坂宿が発生し発展、青墓宿は衰退した。杭瀬川の水運は当時から利用され、西には不破の関があり交通の要所として栄えた。そして1600年、天下分け目の戦いの舞台にもなり、江戸幕府により中山道として制定される。当時は将軍が京へ向かうための宿泊地としてお茶屋敷きがあり、この当時から赤坂宿は栄えていた。
1680年代

 延 宝

 延宝は江戸幕府開府から80年ほど経った、元禄時代がはじまる数年前である。この時代の物資輸送は陸路が中心で、京や敦賀の物資が杭瀬川の水運で桑名を経て、華やかな元禄時代の中心であった尾張藩へ運ばれた。この物資輸送で問屋場を中心に赤坂宿は栄え、旅篭は少なかったと考えられる。また屋根は藁葺や板葺が中心で、瓦葺は少なかった。

華やかな元禄が始ろうとする、物資輸送で栄えた往時を再現。

 幕 末

皇女和宮の姫普請

 この時代には物資輸送の中心は陸路から千石船中心の海運になっていた。各宿場では京の物資を店先で売る商店や江戸後期には巡礼が盛んになり旅篭へ店を変えるなど宿場の町並みは変化をした。この赤坂宿も例外でなく、北にある谷汲巡礼の宿場として栄えた。

そして幕末、天皇の妹和宮の降嫁で赤坂宿は大きく変わる。江戸幕府の威信のため、和宮降嫁の行列が通る街道筋で普請が行われた。宿泊地となった赤坂宿では、全ての通りに面した家を2階建てにした「お嫁入り普請」その時を再現。

現 代

2004年

 明治維新後、近代化の波は赤坂宿にも変化をもたらし現代へ。明治・大正は金生山の石材運搬で杭瀬川の水運は栄えたが、鉄道が開通して水運から鉄道輸送へと変わり、水運の役目は終わった。杭瀬川も河川改修により流れをかえ、現在赤坂湊には、常夜灯が残り公園になっている。この赤坂宿は現在も周辺に神社仏閣が多数存在し、町全体が往時を偲ばせる風景を多く残す。

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製作:2004.10.01  By Ibisoku

修正:2004.10.29